2018年4月11日、経済産業省の「キャッシュレス・ビジョン」が公表されました。その目玉はなんと言っても、世界最高水準である「キャッシュレス決済比率80%」を目標に設定した点、そしてオールジャパンの取り組みとしての「キャッシュレス推進協議会(仮)」の設立です。
少子高齢化や労働人口減少の時代を迎える日本。キャッシュレス推進によって企業の生産性と消費者の利便性の両方を向上させ、国と経済を元気にしようという、読むだけで元気が出てくるようなビジョンです。今回はその概要とポイントを紹介しようと思います。
参考情報:
- 「「キャッシュレス・ビジョン」「クレジットカードデータ利用に係るAPIガイドライン」を策定しました」、経済産業省ニュースリリース、2018年4月11日
- 「キャッシュレス・ビジョン(PDFファイル)」、経済産業省、2018年4月11日
経済産業省の取り組みの経緯
政府が経済政策の要としてキャッシュレス化を掲げたのは「『日本再興戦略』改訂2014」でのこと。物理的な紙幣・硬貨を扱わないこと自体の利便性と効率性だけでなく、電子的に残る決済データを用いた様々な新サービスや施策が可能になることに着目してのことでした。
キャッシュレス化への関心は一過性のものではなく、「日本再興戦略2016」においては2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた重要施策とも位置づけられていました。
このようなトップレベルでのキャッシュレス推進の方針に基づいて、経済産業省はその具体化に向けて動いてきていました。例えば、2017年5月の同省の「FinTechビジョン」でもFinTech推進の前提としてのキャッシュレス化推進の必要性も指摘しています。
また、キャッシュレス化に伴って発生する決済データや購買データの活用促進という観点からは、「クレジットカードデータ利用に係るAPI連携に関する検討会」を2017年3月に立ち上げています。
もともとはこのようなAPI連携に関する検討会を行っていた経産省ですが、そもそもキャッシュレス化が進まなければAPI連携しても仕方ない、キャッシュレス化推進こそが本丸だとの認識を共有するにいたったようです。同検討会に「キャッシュレス検討会」という役割も持たせ、世界と日本のキャッシュレス化状況やその推進要因・阻害要因など、多くの有識者を招いて幅広い議論を行ってきた模様です。
参考情報:
- 「クレジットカードデータ利用に係るAPI連携に関する検討会(キャッシュレス検討会)の開催状況」、経済産業省
- なお、「キャッシュレス検討会」には、当社代表である丸山弘毅が、FinTech協会代表理事・会長の資格において、委員として参画してきました。
このような背景から生れた「キャッシュレス・ビジョン」。あまり知られていない決済業界の内部事情にも踏み込んだ内容になっており、Fintechと決済サービスに関心のある方には必読のドキュメントとなっています。
「キャッシュレス・ビジョン」のポイント
「キャッシュレス・ビジョン」はA4サイズで74ページ(要約版は14ページ)というドキュメントです。決済に関心のある方すべてに有用なドキュメントだと思いますが、すぐに全部を読み通すのが難しい方のために、その目次に沿って、概要とポイントを紹介しようと思います。
はじめに
- 上でまとめたような、「キャッシュレス・ビジョン」が作成・公表されるに至った経緯がコンパクトに述べられています。
- 「なぜキャッシュレスに取り組むのか」という項目では、キャッシュレス化を通して得られる様々なメリットが列挙されています。これらを通した「国力強化」が、「キャッシュレス・ビジョン」の目標ということです。
- 実店舗の無人化省力化
- 不透明な現金資産の透明化、流動性向上
- 不透明な現金流通の抑止による税収向上
- 支払データの利活用による消費の利便性向上
- 消費の活性化
1.キャッシュレス決済について
- キャッシュレス決済を論じる際の前提となる、「何をもってキャッシュレス決済とするか」、「どのような統計でもってキャッシュレス比率とするか」といった定義がなされます。
- 特に、キャッシュレス比率として用いる指標を明確化した点は意義深いです。詳細はドキュメントを参照いただきたいですが、例えば銀行口座間の資金移動は、キャッシュレスな取引ですが、キャッシュレス比率の算出においてはカウントされないという問題点があります。これは日本だけの問題ではなく、例えば欧米諸国で用いられる小切手による資金移動も同様なのですが、このあたりを明確にしておく態度には好感が持てます。
2.世界のキャッシュレス動向
- 海外諸国のキャッシュレス比率を比較し、日本がキャッシュレスで大きく遅れている現状を述べます。
- 次に「各国のキャッシュレス推進事例」として、スウェーデン、韓国、中国を取り上げます。特に、各国の取り組み内容と実績についての情報は参考になります。以下の項目が取り上げられています。
- スウェーデンの取り組み:
- 小切手からデビットカードへの移行
- 犯罪対策による現金取扱の廃止
- 個人間送金・支払サービス:Swishの登場
- 韓国の取り組み:
- 政府によるクレジットカード利用促進
- 硬貨発行の削減に向けた電子マネーの活用(おつりをプリペイド口座への入金とするパイロットプログラムなど)
- 中国の取り組み:
- 銀聯の設立
- アリペイの登場
3.日本のキャッシュレスの現状
- まず、「キャッシュレスが普及しにくい背景認識」という項目で、キャッシュレス化の阻害要因を、社会的視点(安心して現金を使える社会環境、など)、店舗の視点(コストに対するメリットへの納得感の欠如、など)、そして消費者の視点(キャッシュレスの未普及自体が、利用への不安要素である、など)がまとめられています。
- ここでは、キャッシュレスの阻害要因が総体的に論じられたことが意義深いです。今までは、「セキュリティが不安だから消費者が利用しない」とか「使いすぎが不安だからクレジットカード利用が伸びない」などと、消費者視点でのみキャッシュレス阻害要因が論じられる傾向にありました。「キャッシュレス・ビジョン」では、加盟店視点や、あまり知られていない業界の慣習(例えばマルチアクワイヤリング)や、コスト構造にまで踏み込んで、阻害要因を洗い出しています。
- 次に、「キャッシュレス推進の追い風」と題する項目では、キャッシュレスを促進する要因を列挙しています。
- 社会情勢として、現金コスト削減ニーズの高まり。
- 店舗視点からは、導入ハードルの低い新サービスの登場、電子レシートなど購買履歴データ活用の動き。人手不足の深刻化。訪日外国人対応。
- 消費者視点では、キャッシュレス決済サービスの利用増にともなって、利用素地が整ってきている状況。PFMの普及。
- そして、キャッシュレス化の追い風となるような、以下の新サービスについて丁寧な解説があります。これも一読の価値ありです。
- 三菱UFJフィナンシャルグループの「MUFG Coin」
- みずほフィナンシャルグループの、通称J-Coin構想
- LINE Pay社の「LINEウォレット」
- Kyash社の「Kyashアプリ」
- 楽天社のエコシステム
- Origami社の「Origami Pay」
- エムティーアイ社の「銀行口座直結型スマートフォン決済サービス」
- この章を締めくくるのは、政府視点でのキャッシュレス推進理由です。以下の領域での取り組みや方針がまとめられています。
- 商流・物流・金流のスマート化の動き
- マイナンバーカードを支払(消費)に活用する動き
- 収税の効率化と公平性確保の要請
4.日本の現状を踏まえた対応の方向性と、5.対応の方向性を踏まえた具体的方策(案)
- 4章と5章はまさに、今後のアクションプランを述べているセクションです。
- 内容は多岐に渡りますので全てにコメントすることはしませんが、「図表52 具体的な方策(案)一覧」の大分類と小分類を引用することで、そのスコープを示そうと思います。
- 実店舗におけるキャッシュレス支払導入にかかるボトルネック解消
- キャッシュレス支払の導入を促進させるための環境整備(加盟推奨や導入義務化)
- 支払手数料改善のための環境整備
- 生産性向上のための環境整備
- キャッシュレス支払受入の動機付け
- キャッシュレスの意義、効果に関する事業者理解の増進
- サービスの統一規格や標準化等の整備
- 消費者に対する利便性向上と試す機会の拡大
- キャッシュレス支払に対する真の消費者ニーズの把握
- キャッシュレスの利便性や安心感の向上
- キャッシュレス支払利用の動機付け
- 支払サービス事業者のビジネスモデル変革を後押しする環境整備
- ビジネスモデル変革のための環境整備(支払手数料のあり方の検討、共通の本人確認/認証に関する仕組みの整備)
- 産官学によるキャッシュレス推進の強化
- より野心的な目標設定、思い切った方策の実施、キャッシュレス推進にかかるフォローアップ
- 各種調査・発信
- 政府や自治体自らが積極的にキャッシュレスを利用
- 新産業の創造
- 商流・物流・金流の連動を促進
- データ利活用の円滑化に着目した産業育成
- 制度的課題への対応
6.今後の取組み
- 前章において様々な方策が列挙されましたが、「キャッシュレス・ビジョン」を締めくくる本章にて、もっとも重要な方策が強調されています。
- まず「支払い方改革宣言」。2025年の大阪・関西万博に向けて、「未来投資戦略2017」で設定したキャッシュレス決済比率40%を前倒しで実現すると宣言し、さらに将来的には、最高水準の80%を目指していく、としています。
- そして「キャッシュレス推進協議会(仮)」を設立し、オールジャパンの取組みとして産官学の有識者・実務家を結集し、「キャッシュレス・ビジョン」が提言する方策を具体的に推進していく、としています。
決済というと一般には金融サービスとして捉えられています。しかし、どのような商取引にも必ず付いてくるのが決済。そうした意味では、金融を超えた、全産業の要となるサービスが決済だとも言えるのです。
今回、そうした広い視野から日本のキャッシュレス決済の行く末を論じ、大胆な方策案を提言した経産省「キャッシュレス・ビジョン」です。その具体化を通して、決済から日本を元気にしていくような施策が次々に生れていくことに、大いに期待します。