世界の8割の中央銀行がデジタル通貨(Central Bank Digital Currency; CBDC)の発行を検討しているといわれます。われらが日本銀行のほうはというと「発行計画はないが、検討はしておく」というのが公式スタンスでありつつも、2021年度にはシステム的な実験環境を用いた概念実証を予定しています。
インフキュリオン・インサイトでは何回かに分けて、世界で加速するCBDCと日本銀行の取り組みについて紹介していきます。今回はまず、技術革新の潮流において、各国の中央銀行に危機感を与えたであろう3つの大きな動きを振り返ります。
参考情報:
- 「Will central-bank digital currencies break the banking system?」、Economist、2020年12月3日
この記事はカードウェーブ誌2021年1月・2月号の特集レポート「中央銀行デジタル通貨のインパクト 日本版CBDCに必然性はあるか」の一部を加筆修正したものです。
通貨の再考を促した3つの動き
中央銀行はデジタル通貨を発行すべきか?もし発行するならばどのような形態であるべきか?
そんな議論は以前からありましたが、どこか現実味が薄くアカデミックなものに留まっている印象でした。それが一変し、今や世界各国の中央銀行がCBDC発行を真剣に検討しています。バハマ、カンボジアなど既に発行開始している国もあります。
中央銀行がCBDCについて真剣に議論せざるを得なくなった背景には、通貨を取り巻く環境の変化があります。民間のデジタル決済サービスの拡大がその大きな要因です。具体的には、通貨が持つ「価値の媒体」としての役割の再考を迫った3つの動きがあったのです。ビットコイン、リブラ、そして中国モバイル決済です。
参考情報:
- 「中央銀行によるビットコイン技術の活用と「デジタル通貨」の構想」、インフキュリオン・インサイト、2015年7月30日
ビットコイン
ビットコインについて多くを語る必要はないでしょう。管理主体を持たずに、不特定多数の参加者による合意によって運営される暗号通貨として世界中に拡大しました。国や法制度にまったく束縛されず、参加者間の自由な「送金」を可能にしたことで各国政府と金融業界に衝撃を与えました。
しかし現在では、ビットコインを決済に用いるユーザーは多くありません。法定通貨との交換レートが乱高下する点に注目し、キャピタルゲインを狙える「資産」としての側面が支持されています。
ブロックチェーンなど新技術が通貨を変革する可能性を示したという功績は小さくありませんが、ビットコインやその他の暗号通貨は中央銀行通貨を脅かすものとは考えられていません。
参考情報:
- 「ビットコインとブロックチェーンによる金融革新の動き」、インフキュリオン・インサイト、2015年7月30日
リブラ
中央銀行通貨そして国際金融制度への深刻な脅威と見なされたのは、2019年6月にFacebook社が公表したデジタル通貨「リブラ」です。主要通貨のバスケットに連動させることで安定した価値を保証する「ステーブルコイン」として構想された点に、ビットコインの教訓が活かされています。それだけでなく、広く利用可能であるよう運営体制をFacebook社から切り離すなどの配慮も見られました。
しかし「リブラ」の構想へは発表直後から、主要国政府や中央銀行、国際機関から強い批判が浴びせられました。
Facebookは世界中に利用者を持つ巨大ソーシャルネットワークです。日本ではピンとこないかもしれませんが、多くの国においてその影響力は絶大です。「リブラ」の潜在ユーザーは世界中にいるといえます。
例えばある国のユーザーが預金の一部を「リブラ」に交換するとします。その場合、そのユーザーはスイスに設置された「リブラ協会」が管理する通貨バスケットの一部を自国通貨で購入したことになります。外国為替、国際送金、マネーロンダリング防止、など多くの国々が苦心して作り上げてきた国際金融制度について十分に配慮することなく、テック企業にありがちな「ユーザーが国境を越えて自由に送金できることは良いことだ!」という姿勢を押し通すというのでは、国際金融体制への挑戦と見なされても仕方ありません。
また、自国通貨への信認の維持に苦心する途上国などにとっては、「リブラ」は自国通貨の存在意義への脅威ともみなされます。
Facebookの技術力と影響力を考えると、「リブラ」は危険すぎる構想でした。
各方面からの強い批判に対して防戦一方となった「リブラ」は、「複数通貨バスケット連動型ステーブルコイン」という当初の構想から大きく方針を転換し、現在は「それぞれの通貨に連動した複数の暗号通貨」となっています。名称も「ディエム」に変わっています。今後は発行国の国内法に準拠しながら展開していくことになります。
「リブラ構想」は、その牙をへし折られました。中央銀行通貨と国際金融制度への脅威は摘み取られたのでした。
参考情報:
- 「仮想通貨「Libra(リブラ)」に関する見解」、インフキュリオン・インサイト、2019年7月15日
- 「デジタル通貨リブラ、「ディエム」に改名」、日本経済新聞、2020年12月2日
中国モバイル決済
グローバルなデジタル通貨としての側面を備えていたビットコインと「リブラ」ですが、中央銀行通貨を脅かすまでには至りませんでした。しかし、民間の決済サービスが通貨の位置づけの再考を促すほどの規模まで急拡大した国があります。中国です。
中国におけるモバイル決済の成功についても周知ですが、簡単にまとめてみます。10年前は現金社会だった中国ですが、2019年には「Alipay」、「WeChat Pay」などモバイル決済の取扱高は347兆元(約5500兆円)に達しています。決済件数の8割がモバイル決済によるとの報道もあります。既に現金の受け取りを拒否する店舗も多いといわれるほどです。
まさに、中央銀行通貨の立ち位置が、民間デジタル決済サービスに既に浸食された状態といえます。
中国の中央銀行である中国人民銀行は2020年中に「デジタル人民元」の実証実験を繰り返し実施してきました。CBDC本格発行も遠くないと見られています。強くなりすぎた民間デジタル決済が、実際にCBDC発行を後押ししたかたちです。
ただ、「デジタル人民元」の発行の動機について、「決済サービス市場への統制強化」や「米国の覇権への対抗」といった論調ばかりなのには違和感を覚えます。
むしろ、現金がもはや、民間デジタル決済サービスへのバックアップとなりえないという現実に対する施策と考えるほうが納得がいきます。
中国経済において重要なインフラとなった民間デジタル決済ですが、もしこれらのサービスが何らかの障害等で停止してしまえばどうなるでしょうか。現金保有を止めてしまっている市民が、大挙して銀行やATMに押し寄せるパニックとなることは必至です。
そうしたリスクへの対処として「デジタル人民元」の発行は必然に思えます。民間サービス障害時にも、スムースな通貨供給が可能になると考えられるからです。
ちなみに「デジタル人民元」は、個人のモバイル端末からサーバーへの通信を前提としないで、モバイル端末同士の直接通信(ピア・トゥ・ピア通信、PtoP通信)による送金の機能も備えている模様です。様々な状況でも決済を止めないようにとの配慮が見られるのは心強く感じます。
参考情報:
- 「China aims to launch the world’s first official digital currency」、Economist、2020年4月25日
- 「デジタル人民元、スマホ軽くぶつけ送金 蘇州11日実験」、日本経済新聞、2020年12月5日
いかがでしたでしょうか。次回は、CBDCを設計する上での留意点についてまとめます。